結婚、転勤、出産そして独立開業してみて、得たもの失ったものとは
プロローグ
転勤、出産、退職して専業主婦へ・・・女性であるがゆえにライフステージがガラリと変わることはよく聞く話ですが、いざ当事者になってみるとなかなか穏やかではいられないものです。これはそんな“大逆転”を経験した私が、どんな環境下でも自分らしくいるために、ときにはつまずきながら独立開業という自分なりの“答え”を見つけるまでのお話です。まだまだ試行錯誤ですが、この等身大のコラムをご自身の経験と重ねて読んでいただくことで、新たな一歩を踏み出すエール、ヒントとなれたらこれほど嬉しいことはありません。
自己紹介
こんにちは。のざわともこです。私は独身時代に東京で人材業界、IT業界で営業と広報の経験を積み、その後、大手グルメサイト運営会社に広報担当者として転職しました。同社では新聞やテレビを始めとしたメディア対応の通常の仕事だけでなく、食の作り手を会社に呼んだり、現役秘書を集めて「手持ち土産」について調査をしたり「広報」の新しい形を模索していました。勤務中に4歳年下の現在の夫と出会い、2014年に結婚しました。そして夫の転勤と妊娠を機に退職し、見知らぬ土地の新潟へ移住。現在は2歳と0歳の姉妹の子育てをしながら個人事業主としてライター業や地元の企業の広報業を行い、新潟の情報がうまく日本中に回るお手伝いをしています。34歳。
まさか自分が!ワーカホリックだった私が夫の転勤で専業主婦に?
常に肌荒れ、BMIは「痩せすぎ」。
もはやセルフブラックな会社員時代
私はいわゆるワーカホリックな会社員でした。毎日スシ詰め状態の電車に揺られ朝から晩まで働き、休日出勤することもしばしば。睡眠不足とストレスで荒れたお肌が当たり前、帰宅後深夜なのに生姜焼き定食をペロリ。それでも摂取カロリーが足りずBMI値は常に「痩せすぎ」をマーク。そんな会社員生活でも自分が好きで選んだ仕事だからとにかく“夢中”でした。もはや“セルフブラック(企業)”・・・やはり“ワーカホリック”と言ったほうがまだ穏やかでしょうか。ワークライフバランスという言葉もあまりピンとこなくて、休日は仕事に役立ちそうな本を読み漁り、外出先やスポーツジムのプールでは黙々と泳ぎながら「こんな仕掛けがあると面白い企画になるな」などと考える。そんな会社員でした。当然親からは心配され、あげくお見合いの話を持ちかけられる寸前でした。
「人生終わった。」
幸せを真っ直ぐにとらえられず苦しんだ転換期
そんな私も30歳になり、結婚を意識する男性と出会いました。当然、結婚して都内でバリバリ共働きをするものだとばかり思っていたのですが・・・なんと夫の転勤辞令、そして入籍後すぐに妊娠発覚!一気に状況が変わってしまいました。周囲からは驚きとともにたくさんの祝福の言葉をかけてもらいながら私はというと、
「こんなに頑張ってきた仕事を辞める?
家族や親しい友人、仕事で出会った人達とお別れ?
産休・育休後に復帰する場所がないってこと?
自分で自由になるお金を作り出せないってこと?
友達が1人もいない新潟でどうやって子育てすればいいの?」
と、内心かなり悶々としていました。
自分で決断したとはいえ、急展開でとても気忙しない1年となり、もう半ばパニック状態でした。夫を精一杯応援したい気持ちと、これまでの生活や積み重ねてきたものを一気に手放すことへの動揺、新しい命へのプレッシャー。一般的には、栄転となる夫に暮らしを保証してもらい子供にも恵まれ幸せそのものだというのに、こともあろうか私は「人生終わった」と感じてしまったのです。今思えば「自分の“仕事人生”が終わった」という意味なのですが。当時は妊娠中のホルモンバランスの変化もあって、冷静に自分を分析できないほど動揺していました。そして気持ちに折り合いがつけられないまま妊娠7ヶ月の頃、新潟へ引っ越しました。このとき両親が車で新潟の新居まで送ってくれたのですが、東京へ戻る車の後ろ姿にひとり泣きながら手を振ったことは忘れられません。結婚するって、こういうことなんだな、と実感した瞬間でした。
1人じゃない!
お腹のチアガールと新しい家族の支え。
夫が新しい環境での試練に立ち向かっている頃、私はガランとしたマンションで1人ボンヤリしていました。見知らぬ土地で右往左往する気力すらなく、とりあえず持ってきた大量の仕事ファイルの必要性を考えては、ため息。毎日朝一番で目を通していた日経新聞にも目を通さない日々。正直、この時期はFacebookなどSNSを開くのが憂鬱でした。仲間のリア充が切なかったんです。
「ここ、どこよ。私はひとりでどうしたらいいの。」
「淋しいなあ。東京に帰りたいなあ。」
「社会復帰できる日は来るのかなあ。」
ある日、秋晴れの日差しがそそぐリビングでシクシク泣いていたら、お腹の内側から元気な胎動が。まるで私を励ますようにポコスカと蹴ってくる賑やかなお腹を見ていたら笑えてきました。「1人じゃないよ!私がいるよ!」そう言ってくれているように感じたのです。2歳になった今でも活発な長女は、お腹の中にいた時から私を元気づけてくれる、まさにチアガール!さらに、幸い夫が転勤した新潟市は夫の地元でもあり、実家とは車で40分という距離にあるため、夫の母と姉を中心とした“新しい家族”が総動員でサポートしてくれました。こうした夫の気遣いと義実家の支えで、ようやく自分の居場所を見つけられた気がしたのは新潟に来て1か月が経とうとする頃でした。
そして長女出産。
食事制限に夜間授乳、失われた自分の自由
2015年1月の雪が降る朝、待望の長女が生まれてきてくれました。東京の実家に里帰りしていた私は、産後は育児しながらこれまでのようにとはいかなくてもある程度のことは独身時代と変わらずできるんじゃないか、と思っていました。そうです、舐めていたんです。お恥ずかしい限りです。
赤ちゃんなんてずーっと寝ているものだとばかり思っていた私は、出産がどれほど心身にインパクトを与えるか、産後の生活がどれほどハードなものかを痛感し、不甲斐なさに涙。身体が痛い、眠れない、泣き声の空耳すら聞こえる始末。何度娘を抱いたまま夜明けを迎えたことか。おまけに娘は乳児湿疹がかなりたくさん出たので母乳の影響を気にして自分の食事にはかなり神経質になりました。これって私だけでしょうか・・・献身的な実家の親にもずいぶん八つ当たりしました。もちろんキュン!とするほど可愛い我が子ですが、これまで当然だった“自分の自由”を失うということは想像以上でした。独身時代に育児がこんなに大変だと知っていれば、もっと子持ちの友達に気配りができたかもしれません。
戦友=ママ友たちとの共通点
「ママになった喜びと働けないジレンマ」
そして生後3か月目の春、里帰りを終えて新潟で晴れて夫と三人暮らしがスタートしました。しかしスーパーや小児科の場所を把握するなど少しずつ土地勘をつかみ始めるも、いかんせん友達が1人もいない。厳密には孤独じゃないけど、なんか孤独。会社員時代のように毎日通う場所がなくなった私にとって「その日一日を子どもとどう過ごすか」と悩むことは地味にプレッシャーとなっていました。こんな風に感じたことがあるママさんは少なくないのではないでしょうか。そこで先輩ママでもある夫の姉に新潟日報本社ビル「メディアシップ」にある子育て支援センター「キッズマリーナ」を紹介してもらい、いよいよ友達作りを始めることにしました。
子育て支援センターでは同じ境遇(転勤族の妻)のママさん達と次々に出会い、話すたびに共感ポイントが多すぎて首がもげるかと思うほど頷く日々。初めての育児に見知らぬ土地、ハードワーカーな夫を持つ彼女たちとは毎日のように連絡を取り合うようになりました。夫が出張などで不在の時に限って子供は40度の高熱を出したり謎に嘔吐したりするもので、何度LINEで彼女たちにSOSを出したことか。もはや“戦友”です。
ママ友達と話す中で分かったことは「彼女たちはママになる前、一生懸命仕事をしていた」ということです。当たり前のことかもしれませんが“働く”ことを手放してみたことでそのことが私のなかで浮き彫りになりました。私を含めた多くの女性が、結婚そして転勤や出産を機にこれまでの仕事を手放しているのだということ、そして「本当はまた働きたい」と感じていることが分かりました。
ママ人財:連載第二回へ続きます!お楽しみに^^
目次
《第1話》まさか自分が!ワーカホリックだった私が転勤、妊娠、専業主婦へ
【第2話】おカネとココロはリンクする?働いてみて見つけた“自分の安定するポイント
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